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1987年3月発売。
「辛口(KARAKUCHI)」を前面に出し、
日本のビールの味を変えた製品とも言われる。
日本のビール類で、
唯一年間販売量1億箱(1箱=ビール大びん20本=12.66L換算)を超え、
2008年には350ml缶に換算して発売からの累計出荷総数が1,000億本を突破した最大のブランド。
競合他社が、発泡酒や、いわゆる新ジャンルなどの分野にシフトしたこともあり、
税法上のビールでは、過半数のシェアを占めている。
使用酵母・発酵技術を改良して発酵度合いを高め、糖度を低くし、
麦芽以外の副原料(米、コーン、スターチ)の比重を比較的多めにし、
更にアルコール度数を当時主流の4.5%前後よりやや高い5.0%としたことで、
いわゆる「ドライ・辛口」な味に仕上げた。
爆発的ヒットを受けて1988年に競合他社も一斉に類似品を発売したが(ドライ戦争)、結局アサヒの牙城を崩すことは無く、
逆にスーパードライの躍進に拍車をかける結果となった。
「生ビールNO.1アサヒスーパードライ」のコピーが影響し、
キリンラガーは1996年に非熱処理化(生ビール化)が行われたが、
翌年の1997年にはキリンラガーが前年まで45年間保ってきた年間首位銘柄から転落し、新たにスーパードライが年間首位銘柄となった。
まさにアサヒスーパードライはアサヒビールの代表的な商品となりました。
その後もアサヒは次々と新商品を発表して、
お客に飽きさせない戦略を行ったのでした。。
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1889年(明治22年)創業。1949年(昭和24年)の大日本麦酒株式会社の分割により設立。
同社の分割は主要ブランドであるアサヒビール(西日本で販売)とサッポロビール(東日本で販売)を分割する形を取ったが、この分割を推進した大日本麦酒の山本為三郎専務が朝日麦酒の初代社長に就任したため、様々な憶測を呼んだ。
山本は大日本麦酒に合併された日本麦酒鉱泉の出身であり、
その同社から継承した商品でかつ全国ブランドとして知名度のあったユニオンビールと三ツ矢サイダーの2銘柄を朝日麦酒が継承した他、戦前大日本麦酒は設備投資を西日本に集中して行っていたため、その結果最新鋭設備の殆どが朝日麦酒の帰属となっていたのがその主な理由であった。
アサヒビールの知られざる歴史だと思います。
当時のアサヒビールにとってはまさに勝負の時だったと言えます。
そのアサヒビールだからこそ苦悩もあったことだと思います。
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